2013年7月29日 (月)

Jacqueline Du Pre: The Complete EMI Recordings

チェロに魅せられたのは、このアルバムを聴いてから。

Bach: 6 Suiten fur Violoncello solo
Archiv Produktion (1997-02-03)
売り上げランキング: 10,457



これはバッハの無伴奏チェロ組曲。

フルニエによる演奏で録音は1960年、61年。


良し悪しはさっぱり解らないのだが、聞き齧りによると無伴奏ソロを披露できるチェリストは常人では理解できない精神性と技量を持ちあわせているという。


チェロの音色というのは、なんちゅうか優雅で美しい音色というより、深い悲しみを感じ取ってしまうのである。なんてロマンチストなんだろうオレ。

人間の声の音域に近い周波数帯(中音?)を奏でるというチェロは母胎回帰願望を誘うものなのでしょうか。ドグラマグラ〜〜。


さてこの2枚組アルバムを聴き倒して身も心も浄化されたオラは「何も心配することあらへんねんで。おっちゃんに任せておけばだいじょうぶや、はあはあはあ。」てな煩悩をも捨て去り、次なる作品を手に入れた。


Jacqueline Du Pre: The Complete EMI Recordings
Jacqueline Du Pre
EMI Classics (2012-05-07)
売り上げランキング: 295



このアルバムはデュ・プレの16才から28才までの12年間の録音の集大成。17CD。
ずっと狙っていたのだが5000円弱という価格に躊躇していた。17枚で5000円て充分安いんだけど、なんせ1000円以上の金を持つと立ち飲み屋に走ってしまうので。

amazonを何気なく見てたら、3800円に値下がり!発作買い。

何故にデュ・プレか。

この人、美人ですやん?はあはあはあ・・・。



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2009年1月31日 (土)

You're Only Lonely

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ラジオからJ.D. Southerの「You're Only Lonely」が流れている。

懐かしいな・・と思いながら目を閉じて聴き入る。
突然、今日見た夢を思い出した。

とあるラブホテルのロビーに僕はいた。
何故か素っ裸である。

フロントのおねいさんは、中学の時の同級生。たぶん。
おねいさんに「大丈夫ですから。大丈夫ですから。」と言われながら僕はホテルから叩き出された。

外はちょうど通勤時間帯。バス待ちをする人達や、学校や会社に向かう人達が一斉に僕の方を見る。

素っ裸の僕は、お股を手で隠しながら走った。
「あいやー。寝過ごしてしまっただー。」とか言い訳しながら走っているのが虚しかった。




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2008年7月28日 (月)

魔法の音

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これを知らずに人生を送っていたのなら、すごく勿体ない。
幸せなひとときを何十時間か何百時間失っていたのかもしれない。
な〜〜んてことを思ってしまうアルバムの一枚。

スタッフ「more stuff」。

もちろんファーストアルバムも最高によろしいのだが、写真のセカンドも好きだ。


Jazz、ロック、クラシックのどれにもカテゴライズされない音楽を「クロスオーバー」と言っていたけど、丁度この70年代後半頃から「フュージョン」という言葉が登場した。

実は「フュージョン」という言葉の響きが、80年代風で薄っぺらな感じがしてあまり好きではない。
「私はクロスオーバーな音が好きですねん。ほうらベルトの上にはみ出した腹の脂肪がクロスオーバ〜〜。」と言ったらカッコいいが、「やっぱフュージョンですねん。ほうら僕の体型は豚とカバがふゅーじょんっ」つうたらとってもカッコ悪い。

時流に乗ってフュージョンのレコードを流し始めたJazz喫茶は生粋のJazzファンから軽蔑の眼で見られ客足が一気に落ちていったそうである。
まあ、大繁盛のJazz喫茶も記憶にないけど。
と言いつつ、やっぱJazz喫茶ではシャカタクやスパイロジャイラを聴くよりマイルスやコルトレーンを聴くほうがよろしいなあ。


ニューヨークのスタジオミュージシャン、リチャード・ティー(key)、エリック・ゲイル、コーネル・デュプリー(g)、ゴードン・エドワーズ(b)、クリス・パーカー、スティーブ・ガッド(ds)6人により結成されたstuff。
Jazz、ロック、リズム&ブルーズのフュージョンっ・・なんて陳腐な表現はあっちに置いといて、この極上の音楽を聴かずして何を聴くのじゃあ。
ゴードン・エドワーズのゴリっとしたボンボコベース。
ナンバー1、スティーブ・ガっちゃん&クリス・パーカーのタイトなドラム。
僕はライブでもドラムソロの時間が苦手で大概のドラマーさんのソロは居眠りをしてしまうのだが、スティーブ・ガットだけは一瞬たりとも気の抜けない凄まじいグルーヴを叩き出す。
時には時計の針を刻むように正確なリズムを、時には千手観音が乗り移ったのかの如く妖艶なうねりを。
ゲイルさんデュプリーさんのブラックなギター。
僕はデュプリーさんの砂埃舞い散るギターが大好きなのだ。

誰が欠けてもstuffとしての音が成立しないところがすごい。

しかし、しかしですぞ、このバンドの要は、今は亡きリチャード・ティー。
彼のフェンダーローズ(エレピアノ)は魔法の音なのである。
ローズピアノと言えば第2期ジェフベックGやハミングバードのマックス・ミドルトンやSpainのチック・コリアなんかな。でも、これぞっというユラユラ感はリチャード・ティー。
もちろん、鍵盤を一音鳴らしただけで鳥肌の立つピアノの音色も大好き。
「Need Somebody」ではボーカルも聴かせてくれる。

そしてもう一曲のボーカル曲ゴードン・エドワーズの「Love of Mine」。
これはサッチモに匹敵するのではないか。


そんなこんなで30年経ったんだねい。
改めてエリックさん、リチャードさんに合掌。
タイムマシンがあればもう一度。


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2006年9月27日 (水)

Supertramp

Super

スーパートランプ「Breakfast in America

月日の経つのは早いものである。
あの頃のあいつは、どうしているのだろうか。
もう会わないやつもいるし、会えないやつもいる。

てなことを考えながら、早朝の公園を散歩していた。
ユキエが突然、気張り出した。

「う~~~~~んっ。」

ユキエは言った。
「今日のウンチは切れが悪いの・・・。」
「はあ・・・。」
「場所を変えるわ。」
「はあ・・・。」

・・・ったく。
ウンチはくさいのである。片付ける僕の身にもなってほしいものである。

「いいわよ。」
「はあ・・・。」
「行くわよ。」
「あ、待ってくれよーー。」

ユキエを追いかけながら、突然、頭の中を「The Logical Song 」が駆け巡った。
なんだ、こりは?
もう何年も何十年も聴いていない曲のメロディがどうして・・・?


僕は今どうしても「The Logical Song 」が聴きたくて仕方がない。



・・・・・と、なかなかロマンチックな僕の一面を見せてしまった前振りでしたな。



スーパートランプがブレイクしたのは1979年。

79年といえば、イーグルスが「ホテルカリフォルニア」の亡霊に取り憑かれた「ロングランツアー」で来日したり、ピストルズのシド・ビシャスが死んじまったり、レインボーがコマーシャリズムに走りラジオにオンエアしてもらい易いように短い曲を作ってみたり、ユーロビートてな使い捨てな音楽が出現したり。

1970年結成。鳴かず飛ばず。
多様な音楽性とインテリジェンス溢れるPOPセンスでイギリス、ヨーロッパでは74~5年頃から人気を不動のものにしていた・・・ということらしいす。
ただ、日本では、何某かのジャンルにカテゴライズされないと売れないというか理解できない習性があるようで全く見向きもされなかったみたいだすね。

ところが、誰もが知ってる超~~ウルトラ、スーパーPOPアルバム「ブレックファスト・イン・アメリカ」が、日本でもアメリカでも大ヒット。

当時友人がこのアルバムを買いにレコード店へ行ったときのこと。

「スーパートランプ」というバンド名がどうしても出てこなくて「ほれ。あの今ヒットしているやつ・・。」
店員としては判らんですな。「ほれ。」では・・・。

「ピータートランプトン・・。」
「ピーター・フランプトンですか?」
「違う。スーパー・クランプトン・・・。」
「エ、エリック。クラプトンですか・・・。」
「違う・・・。」

レジの前で「ブレックファスト・イン・アメリカ」の一小節を歌って。
当然歌詞なんぞ知らんので「ハーーふぁふぁフェンフォッフェン、ブリャファフェメリカ~~」とかテキトーに歌ったら通じた・・・・・そうだ・・・。(実話)

そんな、友人までも巻き込んだ名盤「ブレックファスト・イン・アメリカ」。
とことんPOPで判りやすくて皮肉っぽくてハイセンス。
秋に必聴のアルバムなのだ。

次作「フェイマス・ラスト・ワーズ」はハートのナンシー姉妹が参加するも「ブレック~」がヒットしすぎたため影が薄い。
このアルバムでロジャー・ホジソンが脱退。ボーカルのハイトーン・パートはこの人だった?
この人が歌わないとスーパートランプでなくなってしまう。

その後もフロイドのデイヴ・ギルモア参加のアルバムなど一瞬話題になったものの失速しております。
2000年代にもアルバムを出しているようだけど近況は聞きませんなあ・・・。

フルメンバーで活動再開してほしい。

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2006年7月29日 (土)

jeff Beck 〜Frankie's House

Jeff_2

JEFF BECK & JED LEIBERフランキーズ・ハウス

久々に聴いてみた。
これは 1993年のオーストラリアのテレビ映画のサントラ。
未見なのだが、ジャケットから連想するに戦場のフォトジャーナリストの狂気とかを描いたのだろうか。

ちょいと調べたら「フランキーズ・ハウス」とはベトナム戦争時代のサイゴンに実在した売春飲み屋の名前。
兵士やら記者、カメラマンの社交場であったらしい。
実在のカメラマンの著書によるTVドラマ化だそう。

そんな狂気の世界を音に現したのかどうかは判らないが暗いトーンの曲が多い。
曲というよりその場面のイメージを音で表したという小品も何曲かある。
だからと言って、ただの制約あるサントラとしてスルーするにはあまりにももったいない。
もったいないオバケがでるのである。

勿論、フルインストゥルメンタル。
例によって硬質なサウンドでブルーズをやられると不思議な浮遊感に包まれる。

現在このアルバムは廃盤。
おらはオークションで定価で仕入れただよ。

アマゾンだと500円とか1000円で手に入るだ・・・。
なんでプレミアつかんかな。

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2006年6月27日 (火)

Steely Dan

Gaucho

Gaucho

「どうしてそういつもいつも子供なのよっ」
「な、何がだっ?」
「どうしていつもいつも餃子を50個食うかなあ。」
「な、何を言っている?」
「どうして、食べた後『苦しいっ』って騒ぐかなあ。」
「な・・・」
「ゆっくり噛みしめて食べたら20個で充分でしょう?」
「な、なら・・・そんなに沢山作らなければよいではないか・・・。」
「だから子供だって言ってるのよ。」
「子供子供というが、私には子供がいるのだよ・・・。」
「その子供のマンガを喜んで読んでいるのは誰なのよ?」
「し、しかし『鋼の錬金術師』は面白いですぞ。」


大変である。もう子供扱いである。
いい年をして子供扱いである。
大人の音楽を聴かなくていけない。聴かなくてはホントに子供になってしまう。

CDのボックスを引っかき回す。
「まんが大行進」「藤子不二雄大全集」「オバQ音頭」「ブースカ音頭」
・・・・大変だ。大人の音楽を・・・・。

わはは。これだ。スティーリー・ダンだっ。
スティーリー・ダンといえば「ドゥ・イット・アゲイン」(アルバム「キャント・バイ・ア・スリル」)である。「リキの電話番号」(アルバム「ブリッツェル・ロジック」)である。珠玉の名曲なのである。

研ぎ澄まされた音を追求するあまりバンドメンバーの首を切りまくり、スタジオに籠もり、偏執狂のように妥協を許さず潰れていった、ドナルド・フェイゲン&ウォルター・ベッカー。

72年のデビュー以来、定番といえば77年の「彩(エイジャ)」なのか。
80年に「ガウチョ」を発表して、その後20年間の眠りに入るのである。(ソロは別として)
僕は「ガウチョ」。

ロック・・・ではないのだが、そんな事はどうでもいいというぐらいの究極形なんだろうねい〜。
大人の僕にぴったりである。


例えばブログで「winosさんてどんな人ですか?」と聞かれると(聞かれたことないけど)「スティーリー・ダンの音楽のような大人の人です。」と答えるようにしている(答えたことないけど。)

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2006年6月 1日 (木)

Steve Winwood

Winwood

アーク・オブ・ア・ダイバー


たった一人の美術館で、お気に入りの絵画に静かに見入る。
そう、私は時間が空くと美術館によく出かける。

名もない画家の、埋もれた作品の中から「おお・・。」という作品に巡り会ったときの喜び。
これだから、美術館巡りはやめられない。
最近も、日本の近代画家展という新進気鋭の画家たちの作品に接する機会があった。

ちょうど地震のあった年だから平成7年である。
おお、11年も前ではないか・・・。
しかし、地球の長い歴史からみれば11年なんて一瞬の出来事である。

地球が誕生して46億年である。生命が誕生するのは、それから8億年後なのである。
そして人類が誕生したのは今から600万円、いや600万年前なのである。
46億年の600万年・・・、よく判らんが、どってことないぞ。11年なんて誤差の範囲にも入らないのである。

で、その時の画家は、田中圭一だったか・・・。山科けいすけだったか・・。手塚治虫だったのか・・・・。

ん?

とにかく、僕は美術館が好きなのだ。


美術館の庭園を歩きながら「ふふ。僕って素敵。」と自分うっとり。

静かな時間が流れる。

そんなアルバムである。
「アーク・オブ・ア・ダイバー」
無機質なはずのシンセに、ここまで風景が見えるなんて。

このアルバムは発売と同時に買いに走った。
二十数年前の話である。

それ以来聴いていない・・・。(聴きたい・・・。)
しかし、二十年、三十年なんて誤差である。
どうでもいいのである。


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2006年3月30日 (木)

SAMANTHA FOX

Fox

サマンサ・フォックス「SAMANTHA FOX

最近、回線が飛んでいると言われて、「むう。僕は自分では至極真っ当な常識を持ったナイスミドルだと思っていたのが、少し軌道修正をしなければいけない時期にきたのかもしれない・・・。」と思ったのです。
例えば、信号が青だったとする。普通は「進め!」なのだが、僕の場合「最近は物騒な世の中である。信号無視のクルマが突っ込んでくるかもしれない。右みて左みて指さし確認。声に出して右よし左よしレッツゴー」とか言っている間に信号が赤に変わりクルマに跳ねられたりするわけです。

で、軌道修正と言っても何をしていいかも判らない。
例によって「ま、いいか。」とこの問題は一件落着させても春はやはり寂しい。
春先は、ぶつぶつ独り言を言ったり、電車の中で扉に頭を打ちつけ「くそっ。くそっ。」と呟く人たちが多数出現するという話を聞いて「ああ、この人たちも回線が・・・。」と季節の変わり目は気をつけよう・・・と自分に言い聞かせながら、やはり春は寂しい。

お尻からあんこがニュイっと出るくらい寂しい。
そう言えば、小学生の頃、学校でうんちをするのが恥ずかしかった。「女子はうんちかおしっこか誰にも悟られずできていいよなあ。」とか思った。
友人のS君は、我慢に我慢を重ねた。しかしいつかは出るときがやってくる。授業中だったが立ち上がった。
「先生っ!!!」
先生は、瞬時に全てを理解した。
「早く行きなさいっ!!」
S君は走った。泣いていた・・・。
しかし無情にもうんちは出てしまったのですな。廊下に点々と続くうんち。悲しい風景です。たぶん春だった。
彼が立ち直るには時間がかかったけど、僕は彼のことを笑わなかった。
春になるとS君を思い出す。元気でやっているだろうか。職場でも「うんちたれ」と言われていないだろうか。小学校を出てから会ったことはないけど、がんばれS君。
僕も学校の帰り道、うんちを漏らしたことがある。君だけじゃないんだ。

春には別れがあり出会いがある。
希望の予感はあれど、あんこはニュイ・・・。

この寂しさを若き日のサマンサ・フォックスに体当たりして、あの胸に顔を埋め思いっ切り泣いてみたい。ついでに軽く乳も揉んでみたい。

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2006年3月16日 (木)

STEVE CROPPER

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スティーブ・クロッパー「PLAYIN' MY THANG」

メンフィスといえば、アメリカ・テネシー州西端、ミシシッピ川に面する都市で、人口の半分が黒人。
ブルーズ、ソウルの地ですな。

そのメンフィスを拠点に活躍する「メンフィスのドン」スティーブ・クロッパー。
有名どころではブッカー・T&The MG's。R&B界最強のバックバンド。ボブ・ディランやニール・ヤングのバッキングをはじめ、デラニー&ボニー、オーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、リタ・クーリッジ・・・。超大物級との仕事。
ジェフ・ベック(ソウル色の強い第二期)、ロッド・スチュアート、ポコ、ネッド・ドヒニー等のプロデュース。
ギタリストとして以外にも多彩な活動なのだすね。
そしてブルース・ブラザースのギタリスト。忌野清志郎とのセッション、ライブ活動。

白人でありながら、メンフィスの地で黒人との混成バンドを維持させ(露骨な人種差別な時代、スタジオ入りもメンバー別々に隠れて入っていたそうである)、ブルース、ソウルを愛し、そして自然体でカントリーも愛す。

このジャケットの笑顔を見ているだけで、彼の人柄を感じてしまうのだ。
このアルバムは、1980年頃。レコードに針を落とした瞬間から(レコードで持ってるです)、心地よい開放感。
ユルくて軽快、もちろん全然軽薄じゃない。自然に笑みも広がるってもんです。

本人が楽しんでいたら聴いている方も楽しい。
レコードから粉が吹き出るほど聴き倒したアルバムなのだ。

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2006年3月 3日 (金)

Joe Jackson

Joe

Night & Day

僕は「たらこ唇」が好きである。何故かというと「たらこ唇」はセクシーだからである。
もちろん、男の「たらこ唇」は嫌いである。大っ嫌いである。

話かわって、夜のお菓子と言えば「うなぎパイ」である。しかし「うなぎパイ」は、いつ食べてもうなぎの味も香りもしない。そして、夜の音楽と言えば、これはもうジョー・ジャクソン以外に考えられないのである。彼女との夜のドライブはこれで決まりだ。

「いや〜〜ん。私、今日家に帰りたくな〜〜〜い」と言われること請け合いである。
「俺は愛の狩人。君はプルプル震える純粋無垢な子猫ちゃんなのか〜〜〜い。」とか言ってみるのもいいかもしれない。
「でもアタシって自分を安売りしたくないのよね。」とか言いやがる奴には「んじゃ、なんぼじゃ?」とか言ってビンタを食らわされても知らんよ。

さて、ジョー・ジャクソンにまつわる思い出なんかを書こうと思ったのだが、なんも思い出なんてありゃしない。たぶん一人榎茸が生えてる部屋で聴いてたんだな。

ジョー・ジャクソンは70年代後半にデビュー。ニューウェーブ世代のピアノ弾きですな。ポリスやクラッシュみたいにパンク以降のレゲエ路線だったと思う。
商業的に成功したのが1982年のこのアルバム「Night & Day」。収録曲の「Stepping Out」が大ヒット。ロックの範疇を超えたジャズ、サルサ何でもありの天才肌の真骨頂。大好きなアルバム。スゥイングの発展形ジャイヴというのだそう。40〜50年代に流行ったダンスミュージックすね。
ところが、あまりにも実験性の強い音楽に走りすぎ、いつしか失速(かどうかは知らないが聴かなくなってしまった)。あえてヒット曲とは無縁なシーンで、まだまだ頑張ってほしい。

全く関係ないが、いつも関係ないので無問題だ。そんな景気のよかった時代、ある仕事が舞い込んできた。当時、私は仕事を選り好みしていたのである。
仕事を選ぶ基準として「心を震わす依頼」という信念に基づいて生きていた。貧乏だが心は錦だったのだ。
うそです、どんな仕事でもします。お願いします。

その仕事とは、友人が結婚式にカードを配りたいので「二人のなりそめカード」を作ってくれというものであった。
原稿は彼女の、ぶりっ子変態文字でぎっしりと書かれてあった。

「まみたん(ぶたのイラスト)とよっくん(オサムグッズ風イラスト)は専門学校で一緒だったんでぃーす(はあと)。そのときはぁ、それぞれにステディがいたんだけどもーー、なーーんか、お互いに惹かれ合ったんだよね(はあと)。グループでスキーとかテニスに行ってたんだけどー、よっくんのことが気になって、気になってぇ〜〜。でも、まみたんは女の子だから自分から言えなかった・・・(ぶたが泣いているイラスト)。それに、よっくんの彼女はまみたんの親友だったしぃ(ぶたが大泣きのイラスト)・・・・。
でも愛のキューピットは気まぐれさん(はあと)。きっかけは、よっくんからだったのだーーー(ぶたがバンザイのイラスト)
【中略】
【以下略】延々とこの調子で続く。

こいつはアホである。上空3000mからパラシュートなしでスカイダイビングすればいいのだ。
心は震えなかったが怒りに身を震わせた僕は仕事を受けることにした。

ああ、今も昔も仕事はなかったのか。

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